ハッピーエンド主義デジタル

おにぎりです。オタクです。

犬のこと

※この文章では動物の死について扱っています。ご注意ください。

 

 

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犬が空に旅立ってから1週間以上が過ぎました。

最後のお別れを終え、自分の感情にも一区切りついたところではあるのですが、今のこの感情を忘れたくない、犬のことを忘れたくないと思って文章を書くことにしました。

 

我が家には犬が2匹いるのですが、上の子が2021年4月25日(日)に虹の橋を渡っていきました。14歳2か月でした。

 

午前11時。私は母が泣き叫ぶ声で目を覚ましました。こんな母の声、聴いたことがない。きっと犬に何かあったんだ。

そう思った私は飛び起きて、すぐさま階段を駆け下りました。

そこには自分の大好きな、勝手口のよく日の当たる場所で眠るように息を引き取っていた犬がいました。

信じられませんでした。だって、深夜に一階に降りたときはすやすや寝ていて、よく寝てるなぁと思っていたのに。前の日に少しだけ外に出てお散歩だってしたのに。

その日の朝には父と母の手から大好きなパンをもらって、そのあと自分の大好きな場所でお昼寝をし始めて、気持ちよく寝ているなあと思ったら、息をしていなかった。そんなのことあるのでしょうか。

母は今から病院に行こうと父に泣きつきます。父は冷静に母に言いかけます。犬が苦手な弟も言葉を失っていました。

本当に信じられないぐらい、いつも寝ているときと同じ顔をしていて、まだ体は温かくて。そこに魂がないなんて信じられなくて。あまりにも突然の出来事にひたすら泣き叫ぶことしかできませんでした。

 

ただ犬をこのままにしておくことはできないので広い場所に犬を移動させました。犬がいた場所はまだ温かいままでした。

 

そこからは、(矛盾した言い方になりますが)長いけど短い時間でした。

父がネットで調べて、ドライアイスを31アイスクリームに買いに行って、犬の体を冷やしました。僧侶の叔父から葬儀屋さんに信頼できるペットを火葬してくれる葬儀場も紹介してもらい、火葬場の予約をしました(ペットの葬儀業者は残念なことに、悪い評判の業者も多いのです)。火葬の際に棺が必要となるとのことで、父がホームセンターで段ボールを買って、犬の体を収める棺(というにはだいぶ手作り感満載ですが)を作って、犬の体を移し替えました。

父が動いてくれている間も私と母はずっと泣いていました。もう1匹の犬も不思議そうに犬のにおいを嗅いでいました。

 

私は、実は犬を看取るのは初めてではありません。10年程前、3歳8か月でこの世を去った子がいました。この子は生まれつき腎臓が悪く、だんだん衰弱していき、母だけがいる中でその小さな命の灯が消えていきました。

当時高校生だった私は、部活中に連絡を受けて、泣きながら帰宅したことを今でもよく覚えています。

その時には、つい先ほどこの世を去った犬(ややこしいのですが、この子の方が年上です)もいて、賢いその子は小さな命がいなくなったことを悟っていたように思います。

そして、その時にやっていたブログにその犬とのお別れを書いたのですが、思い出して悲しくなるということより、高校生の自分が書いた稚拙な文章に向き合うのが恥ずかしくて読めずにいます。ただ、やはり自分の中の出来事として、どうしても刻みたくて、もう既に泣きまくっているのですが、文章を書こうと思ったのです。

 

話を元に戻しましょう。

 

今回、私たち家族で話し合った結果、犬を火葬することに決めました。

10年前に亡くなった子は、母の実家の裏山に深い穴を掘って土葬したのですが、この子は体が大きいのでとてもではないけど穴を掘れないので、火葬をすることにしました。

幸い火葬場はすぐ見つかったのですが、翌日の月曜日の予約は締め切っていること、火曜日は父がどうしても外せない仕事があるため、水曜日に行うことになりました。

 

ただ、私個人としては火葬をするのは仕方ないことではあると理解しているものの、受け入れられずにいました。私は「骨」が怖かったのです。

というのも、小学生の頃に祖母が亡くなったとき、一昨年祖父が亡くなったときに最後に骨になった姿を見て、とても「怖い」と思ったのです。

祖母と祖父には悪いのですが、犬の死の方がはるかに悲しい私にそれが受け入れられるのか、私は不安に駆られて、大学時代の恩師にその思いをぶつけた1通のメールを送りました。メールの返事はありませんでした。

 

私は月曜日は会社に行き、上司に事情を説明し、休みを取りたい旨を伝えました。私の上司は正直、上司としてはいいとは言い難い人ではあるのですが、「仕事は大丈夫だから」と言ってくれました。同僚にも私がいないときに伝えてくれたようで、私が休むことを伝えたときも同僚は「わかった」とだけ言ってくれました。

慌ただしい仕事のためその日もやることに溢れていたのですが、ふとしたときに犬のことを思い出して泣いてしまう時もありました。ただ人前かつ仕事中であるため極力涙を控えましたが、行き帰りの車の中では我慢できず、号泣しました。

車内が無音だと涙が止まらないのでBGMを流すものの、どんな曲も感情移入して泣けてきてしまって、ヒプノシスマイクの曲をずっと聞いていました。ヒプマイの曲は「彼らの曲」であり、そこに私が感情を移入する隙がないので。

 

翌日の火曜日は同じ会社の昨年犬を亡くした人と話をしました。その人に「私ももうすぐ1年経つけど突然思いだして泣くときがある」と言われて、一緒に泣きました。

他の同僚も私の話を聞いて一緒に泣いてくれて、犬の写真を見せたら「すっごくかわいいね」と言ってくれて、その言葉にとても救われました。

 

同日に我が家の歴代3匹の犬のブリーダーさん(我が家の犬はペットショップではなくブリーダーさんから直接購入しているのです)が来て、最後のお別れをしに来てくれました。私はその場には居合わせなかったのですが、ずっと犬の頭を撫でていたそうです。

1時間以上かかる場所からわざわざ平日に来てくれたのは、ブリーダーさんの大切にしていた犬の最後の子供が犬であったことと、ブリーダーさんにとって最後がわかる子というのはなかなかいないからなのではと思いました。

そしてブリーダーさんがいたときに不思議な出来事が起きたそうです。そのブリーダーさんがずっといた場所のそばのカーペットに炭のような黒い汚れが付いていたそうです。ちょうど犬の足跡のように。

ブリーダーさんが来る前はそんな汚れはなかったと母は言うので、きっとブリーダーさんが会いに来てくれたから犬が付けたのかもね、なんて話をしました。

 

水曜日。両親と私と棺に入った犬は火葬場へ向かいました。ブリーダーさんがくださった花を一緒にいれました。そして最後のお別れのときに入れるために大好きだったおもちゃと庭で摘んだ花を一緒に持っていきました。

弟は仕事でいませんでしたが、犬が苦手で、最後まで一緒に散歩に行かなかった弟はもしかしたら一緒にお別れする資格がないと思ったのかもしれません。弟も弟なりに色々考えていたようです。

 

葬儀場まで1時間程度、決して短いとは言い難いですが車の中で犬との思い出を話していました。

葬儀場に着きました。そこは人の火葬・葬儀がメインで、小動物も引き受けているという市営の葬儀場です(先述の通り、ペットの葬儀業者は怪しい業者が多いので、市営であれば多少遠くても信頼できる場所を選択しました)。

父と一緒に車から棺を運び出し、計測をします。係の人から説明を受けます。

 

棺の蓋を開くと、そこにはいつもと同じような姿の犬がいました。もう息をしていないなんて信じられないぐらい穏やかな寝顔です。3日間我が家に安置していたにもかかわらず、腐敗などは一切していなかったのは一重に父の工夫(アルミシートに体を包み、定期的にドライアイスで冷やしていた)のためでしょう。

そして係の人に「コリーですか?」と聞かれてしまって、「シェルティです」と答えました。我が家の犬はすべてシェルティなのですが、この犬はシェルティにしては大きいため、道行く人によく「コリーですか?」と聞かれていたもので、最後までそう言われてこの子らしいなぁと思いました。

燃えにくく遺骨に影響が出てしまうので、犬の体が腐敗しないように保冷していたアルミシートと毛布、保冷剤とドライアイスを撤去しました。アルミシートに関しては全身を包んでいたので、体の下に敷いている分はそのままにしました。

 

最後のお別れの時間が訪れました。それまでの3日間、散々泣き続けましたが涙が止まりません。あまりにも突然の別れはやはり度し難く、ただひたすらに悲しい。

ただ最後まで立派で優しい顔をしていて最後まで優しい子でいい子で、家族でずっと犬を撫でていました。

家から持参した大好きだったおもちゃと、いつでも我が家に帰って来られるように家の庭の花を入れました。

父と母にとっては子供のような存在で、特に専業主婦の母は犬と一緒に過ごした時間が一番長かったので、母はずっと犬を撫でていました。

そして、棺の蓋を閉じました。

 

1時間半程度の火葬が終わり、収骨の時間になりました。「骨」が怖い私はその瞬間も恐ろしいものを感じましたが、でもここで立ち会わなかったら一生後悔をすると思って臨みました。

骨になった犬はそれはそれは小さくなっていましたが、とても立派な姿をしていました。

晩年悪くなっていた足の骨は他の部分に比べて弱っているのがわかりましたが、病気をすることもなかった犬です。それ以外の部分ははっきりと残っていました。

 

家族で遺骨を骨壺に納めます。係の人が最後まで丁寧に丁寧に集めてくれて、とても安心しました。

帰り際に「おじいちゃんの葬儀の時より丁寧だったね」なんて話をしてました。

 

骨壺を持って家に帰りました。骨壺はまだしばらくは納めず、動物病院の先生からいただいた花と一緒に置かれています。もう1匹の犬が不思議そうににおいを嗅いでいました。

 

次の日、珍しく自宅の固定電話が鳴りました。電話をくれたのは私がメールを送った、大学時代の恩師でした。恩師もメールにどうやって返そうか悩んでおり、私を案じてわざわざ連絡をくれたのです。恩師に「その後どうですか」と聞かれて、私はこう答えました。

「遺骨というのはこの子が立派に生きた証です。だから怖くなんてないです。」

それに対して恩師は「そうですか。」とただ一言、優しく添えてくれました。

 

こうして我が家の葬送は終わりました。

ですが、14年一緒にいた家族がいなくなると、日常の至るところにこの子がいたのだなぁと常々実感しますし、ふとした時に色々な思い出がよみがえります。

 

2か月になったぐらいで我が家に来てなかなかなじめなかった犬。

今は水飲み場にしている台より小さかった犬。

私の靴下を噛みまくった犬。

何も教えなくてもとってこいができるようになった犬。

3か月でお座りができるようになった犬。

おしっこがなかなかできるようにならずに家族全員で苦心をした頃。

階段が登れなかったけど子犬の頃。

2階まで登れるようになって私の部屋にあった砂糖菓子を食べてしまった犬。

ドッグランで集合写真を撮るけどこっちを向いてくれない犬。

庭を楽しそうに駆け回る犬。

私の手足どころか顔までなめまくる犬。

とても賢くて色々な食べ物の名前を憶えている犬。

私がMOTER3をやって号泣していたところを慰めてくれた優しい犬。

いつもおはようをしてくれる犬。

おかえりと言っても私には飛びついてくれない犬。

私が仕事でつらいときに泣きついたらずっとそばにいてくれた犬。

中学生の頃雪の日に友達と一緒に空き地で遊んだ犬。

散歩のとき引っ張って仕方がなかった犬。

犬のトレーニングの先生の前ではすぐ名犬になってしまう犬。

おじいちゃんになってもおかえりを必ずしてくれる犬。

風呂場で私の裸を見てた犬。

私が食べた峠の釜めしの容器でお庭で水を飲んでた犬。

トイレの前でずっと待っててくれた犬。

一緒に寝ろ!と吠えてソファの横で一緒に寝ていた犬。

家族が出かけるときはいってらっしゃいを必ずする犬。

自分の好物があると鼻でズンっとやってきた犬。

親がいない状況で留守番をする間は絶対おしっことうんちをしない犬。

家に遊びに来たフォロワーの腕をべろべろ舐める犬。

鼻で家の扉を開ける犬。

他の犬に吠えて吠えまくる犬。

私の胸に顔をうずめて甘えてくれる犬。

 

思い出していくとキリがないぐらい思い出があります。

私は26歳なので、人生の半分以上、中学生から社会人になってからの人生での転換期を犬と一緒に歩んできました。

 

小さい頃から賢くて優しい子でした。

我が家にとって初めての犬がこの子だったので、人間が不慣れなばかりでたくさん迷惑もかけたと思います。それでも一緒に頑張ってくれました。

犬が苦手な子で、小さい頃に隣の家の犬にとても吠えられて、すごく怖かったのだと思います。人間も好きではないですが、犬が好きな人のことはわかる子で、そういう人間には初対面の人でも心を許していました。

家族が落ち込んでいたり泣いているときは必ずそばに寄り添ってくれました。何度も何度もこの子に助けられました。自分が弱って動物病院に行ったときも、弱っている動物がいると優しく接していたそうです。

 

ただ、ここ数年の不調は私たちにきっといつかこんな日が来るという覚悟をさせてくれていたのでしょう。

耳が聴こえなくなり、目も白内障のようになって見えずらくなっていて、足も引きずるようになっていました。暑さが特に堪えたようで、昨年の夏はとても苦しそうにしていて、季節の変わり目のこの時期はとてもつらかったのだろうと思います。

 

それが今日でなくていいじゃないと何度も思いました。

 

ですが、GW前の家族全員が揃った日曜日の午前中に木漏れ日の中、苦しむことなく旅立って行って、きっとこの子は幸せだったし、月曜日や火曜日に行っていたらブリーダーさんも会うことは叶わなかったと思いますし、水曜日も天気がいい日で、最後の最後まで家族思いのいい子でした。

 

しかし犬がいなくなった家は静かです。

もう1匹の犬は元気なのですが、どこかさみしそうで、散歩に行くときも犬を探しているような素振りをしていました。

2匹の犬が一緒に舐めることができるように、我が家ではヨーグルトは1人が食べたらもう1人食べないといけない決まりがあるのですが、それももうしなくていいのかと思うと寂しいばかりです。

 

犬のためにとっておくブロッコリーの茎、母が「もうこんなにいらないんだね」と捨てる姿はとても寂しそうでした。

 

犬の件をツイートしたところ、たくさんの人からお悔やみの言葉や励ましの言葉をいただきました。直後のツイートに関しては返信できなかったのですが、すべて拝見しております。本当に、ありがとうございます。

今までTwitterに上げていた犬の写真を見てくださった方も、本当にありがとうございます。

 

皆さんのツイートや色々な人のお話を聞いていると、みんな大切な家族との別れを経て頑張っているのだと強く感じました。

正直、しばらくは突然泣くと思うしこの文章書いているときも号泣していましたし、(元々症状はあるのですが)眉毛むしり取り症が発症したり、片頭痛や下痢に悩まされてはいますが、犬はきっと私のことを見守ってくれると信じています。

そして何より我が家にはもう1匹かわいい犬がいるので、この子との時間を大切に過ごしていきたいと思います。

 

犬、ありがとう。

大好きだよ。